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祖母のおかげで入学前に、「50音」をマスターホーム>ちくま幸一プロフィール>祖母のおかげで入学前に、「50音」をマスター
その後、戸手本町に借地をして移り住むことになりました。叔母たちがヨイトマケの歌を歌いながら“ベタ基礎”を打ち、親戚の左官らとともに藁を刻みながら足で土壁を錬っていたのを思い出されます。天井もなく化粧壁もない土壁のままのバラックでした。 その頃のことでした。私がそとで遊んでいると大きな幌付きのトラックがやってきて私の家を訪ねました。私が、贈り物かな?とウキウキと案内すると、おじさんたちが家の中を物色するように眺め回したのち、立ち去っていきました。税務署の差し押さえだったみたいです。父は日本鋼管の臨時工として過酷な三交代勤務でしたし、母も働きに出ていて留守でした その後しばらくして我が家にも、天井が貼られ、化粧壁がほどこされました。 小学校にあがる前まで福島から母方の祖母が来て面倒をみてくれました。夕方になると「こいつー。こいつー」と私を呼びにくるので、遊び仲間が口まねをして囃し立てるのです。そのことがイヤで祖母に文句を言ったような記憶もおぼろげながらあるのですが、今では亡くなった祖母に申し訳ないことをしたと後悔しています。祖母は母が戻るまでカルタとりをして私と遊んでくれました。そのおかげで入学前に「あいうえお」が全部読み書きできるようになっていました。 御幸小学校の入学前健診には母が働きに出ていたので、隣のおばさんが私を連れて行ってくれました。学校の先生が「名前を書けますか」と言うので、私が「ちくま こういち」とスラスラと書いたことに、おばさんは我が子のことのように喜び、「名前を書けた子は、幼稚園に行っていた子と『こうちゃん』だけだったよ」と自慢げに母に語ったといいます。その頃、幼稚園に通っていた子はごく少数でした。そんなこともあって、隣のおばさんは私の入学祝いに当時としては珍しい革靴を贈ってくれました。 小学校の2年くらいまでは教室が足りなくて午前と午後が週ごとに入れ替わる2部制でした。当時の子供たちはよく群れて遊びました。缶蹴り、メンコ、チャンバラごっご、相撲などです。相撲といえば、まだ家にはテレビがなく、千秋楽にはテレビのある蕎麦屋で30円のかけうどんを食べ、結びの一番まで夢中で見入ったものです。初代若乃花の大ファンでした。高学年になると今度は野球がそれに替わりました。 |